こんにちは!
KOKACARE.netにて、コラム・記事を執筆をしていますライターの山内淳史といいます。よろしくお願いします。さて、今回は私の祖母の話をしたいと思います。テーマは「ささやかな幸せのヒント」です。
「幸せ」を考える…なんて大層なテーマではじめましたが、 自分の祖母の生き方を今あらためて考えてみたいと思います。
「… いや、おまえのばあちゃんとか知らんから!」 と思われるかもしれませんが、祖母の話には、もしかしたら昔の人 のほうが幸せだったのかもしれない、 と思えるようなお話がたっぷり詰まっていたんです。
現代人にはわからない世界
祖母は大正時代生まれでした。
今からたった100年前の話です。とはいえ、環境はいまよりも大きく違う時代だったようです。
祖母が祖父と結婚するときは、大垣(岐阜県)まで汽車で出て、 そこから人力車と駕籠を乗り継いで、岐阜のあおなみ村、 というところまで行ったんだという話を聞かせてくれました。
ウェディングケーキも新婚旅行もない嫁入りだったようですが、 村に向かう道すがら、満月が夜空に大きく登り、 田んぼのため池に丸々と映ってすごくきれいだったのだとか。
他人と比べない
当時子どもだった私は、「新婚旅行はなかったの?」 と聞きました。
新婚旅行という文化自体、 戦後の昭和30年代にできたものなんだからあるはずがありません 。
しかし少年時代のわたしは、「 新婚旅行もしないなんてつまらない!」と思っていました。
それでも祖母はつまらないなんて感じなかったようです。
たしかに現代人は、新婚旅行はハワイだ、モルディブだ、 それが幸せなんだ、なんて価値観の中で育ったわけで、 新婚旅行そのものが無いなんて信じられないのだと思います。
しかし当時はそんなスタンダードはどこにもありません。 ただ結婚した、それだけで幸せだったのです。
☆幸せのコツ1☆「比較しない」 現代の価値観や情報に過敏になりすぎない |
ちょっと、でいい
結婚したあと、祖母は愛知県に越してきました。 そしてそこで太平洋戦争を経験したそうです。
それまで外国人なんて知らなかった祖母が、初めて見た外国人が、 米軍の偵察機に乗ったアメリカ人だったそうです。
近くの小学校を軍事基地だと思ったのか、 顔が見えるほどの低空を飛行していったのだとか。そして戦後、 大規模な空襲に合わなかったとはいえ貧しい生活を強いられたそう です。
そんな祖母がよく口にしていたコトバは、「 ちょっとがええだ」でした。 及ばざるは過ぎたるに勝れりなんて言葉がありますが、 戦中戦後の苦しい生活のあとにどんどん豊かになって日本がもので 溢れていく中で、祖母は死ぬまで「ちょっとがええだ」 と言い続けていました。
そして祖母はその「ちょっと」を実践して、 何人もの子どもや何匹もの犬猫を育てて90歳まで生きました。
最後までトタンでできた簡素な家に暮らした祖母でした。 遊びに行くと小麦粉を練って焼いた黒焦げのホットケーキみたいな お菓子をよく作ってくれました。
そんな祖母を見て過ごしてきた私は、 愛知の田舎にある黒焦げのパンケーキを作ってくれたおばあちゃん が、 武蔵小杉のタワーマンションでゴディバを食べて過ごす富裕層より も不幸だとはぜんぜん感じませんでした。
むしろ足ることを知り、 むやみに欲しがらないという点では、 豊かさを求め続けている現代人よりも幸せだったんじゃないかと感 じます(武蔵小杉のタワマン民を否定する気はないですが…)いかがでしたか。
☆幸せのコツ2☆「ちょっとがええだ」欲しがりすぎない。 |
南山大学人文学部日本文化学科卒業。在学中に個人ブログや地域情報誌への寄稿を行い、現在東京のベンチャー企業にて保育士向けの就職情報誌の執筆を手がける。 また、大学の4年間を携帯ショップ店員として過ごしたため、「スマホならビックカ○ラの店員より知識がある」(本人談)。 休日のプチ旅行が趣味。好きなものは甘いもの。悩みはモテないこと。ブログ:『手のかかるロビンソンだなぁ。』
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